おはなし
走れメロス
太宰治の短編小説「走れメロス」です。
- 文章:東方明珠
- 原作:太宰治
- 朗読:結城ハイネ
- 絵:みのもまりか
本文
メロスは激怒(げきど)した。
シラクスの王は人を信じることができず、罪のない人をたくさん殺したという。
「あきれた王だ。」
メロスは王に意見をした。しかし、つかまってしまった。
「私は命など惜しくない。ただ、殺すのは三日間だけ待ってほしい。妹の結婚式があるのだ。かわりに友人のセリヌンティウスを置いていく。」
王はにやりと笑った。
「どうせ、遅れて来るつもりだろう。」
「何をおっしゃる。」
メロスは、すぐに出発した。十里(約40キロメートル)の道を走り、翌日の昼には村へついた。
大急ぎで、二日目に妹の結婚式をあげた。
そして三日目の夜明け前、雨の中を出発した。
私は、今宵(こよい)、殺される。殺されるために走るのだ。
メロスは、つらかった。えい、えいと大声をあげて自分をしかりながら走った。
いつしか雨はやみ、暑くなって来た。
途中の川は、昨日の大雨で海のように荒れくるっていた。
メロスは、ざぶんと飛びこみ、必死に泳いだ。
時間をむだにはできない。陽(ひ)はすでに西にかたむきかけている。
向こう岸についたメロスの前に、山賊たちがあらわれた。王の命令で待ちぶせしていたのだ。
「気の毒だが正義のためだ!」
メロスは三人を倒し、走り去った。
しかし、さすがに疲れて、立ち上がれなくなった。
もう、どうでもいい。勇者らしくない考えがよぎった。
私は、がんばった。
約束をやぶるつもりはなかった。
セリヌンティウスよ、許してくれ。
私は、ひどい裏切り者だ。
――あお向けになり、うとうとしてしまった。
ふと耳に、わき水の音が聞こえた。
メロスは起き上がり、水を一くち飲んだ。
すると、気分がすっきりした。
歩ける。行こう。
日没までには、まだ間(ま)がある。
私を、待っている人があるのだ。
少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。
私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。
死んでおわび、などと気のいいことは言っておられぬ。
私は、信頼にむくいなければならぬ。
いまはただその一事(いちじ)だ。
走れ! メロス。
私は信頼されている。私は信頼されている。
さっきは疲れていたから、悪い夢を見たのだ。
道行く人を押しのけ、はねとばし、メロスは黒い風のように走った。
友人を死なせてはならない。
急げ、メロス。服はやぶれ、ほとんど裸になっていた。
見える。はるか向こうに小さく街が見える。
最後の力をふりしぼり、メロスは走った。何も考えず、ただ走った。
とうとう夕陽が地平線に消えようとしたとき、広場へたどりついた。
間に合った。
「待て。その人を殺してはならぬ。メロスが帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た。」叫びながら、はりつけ台にすがりついた。
セリヌンティウスの縄は、ほどかれたのである。
メロスは涙をうかべて言った。
「私を殴(なぐ)れ。ちから一ぱいに頬(ほお)を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。」
セリヌンティウスはメロスの右頬を殴り、やさしく言った。
「メロス、私を殴れ。同じくらい強く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。」
メロスもセリヌンティウスの頬を殴った。
「ありがとう、友よ。」二人はひしと抱き合って泣いた。
王は、顔を赤くして言った。
「おまえらは、わしの心に勝ったのだ。人を信じる気持ちは本物だと、ようやくわかった。どうか、わしを仲間に入れてくれまいか。」
人々はわっと声を上げた。
「王様ばんざい。」
ひとりの少女が、赤いマントをメロスにさしだした。とまどうメロスに友は言った。
「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。」
勇者は、ひどく赤面した。