おはなし
ナイチンゲール
「クリミアの天使」と呼ばれ、戦場の陸軍病院でも活躍したナイチンゲールの人生ストーリー動画です。
- 文章:東方明珠
- 朗読:結城ハイネ
- 絵:木咲朝日
本文
「天使とは、美しい花をふりまく者ではなく、苦しみあえぐ者のために戦う者のことだ」
ナイチンゲールは女性が働くことが難しかった時代に、看護の新しいしくみをつくるために戦い続けた女性です。
1820年、フローレンス・ナイチンゲールは、イギリスの裕福な家に生まれました。
「算数大好き!」
勉強が得意な娘を、お父さんはほめてくれました。
けれども、お母さんは困った顔です。
「女の子の幸せはすてきな男性と結婚することよ」
ナイチンゲール家では貧しい人々を助けるボランティアをしていました。
「この人たちのためにもっと働きたい」
16歳のとき、天からふしぎな声が聞こえてきました。
「――神に仕えなさい。自分の信じる道を進むのです」
それは神の声でした。
「私の信じる道は、貧しい人や病人を助けることだわ」
「看護師だなんて、とんでもない」
お母さんは大反対でした。
当時の看護師は身分が低く、尊敬されない職業だったのです。
それでもあきらめず、勉強を続けました。
とうとうお母さんが認めてくれたときには、30歳になっていました。
「30歳、キリストが伝道をはじめた歳だ。もう子どもっぽいことは終わり。むだなことも、恋も、結婚も」
看護師になったナイチンゲールは、どんどん新しいアイデアを考えました。
「このひもを引っ張ってみて」
患者がベッドに寝たまま看護師を呼べる『ナースコール』を作ったり、
「看護師が疲れていたら、十分な仕事ができないわ」
簡単にあたたかい食事を運べる『食事リフト』を作ったりしました。
やがて、ロシアとトルコが戦争をはじめました。
クリミア戦争です。
ナイチンゲールはイギリス陸軍病院の責任者となり、戦場へ向かいました。
「なんて不衛生なの。これではかえって具合が悪くなるわ」
病院は安らげる場所でなくてはいけません。
「まずは掃除と洗たくよ。それから、あたたかい食事もね」
道具や薬が足りない中で自分のお金も使い、清潔に作りかえていきました。
毎晩の見回りも欠かせません。
「天使の光だ」
「安心するなあ……」
「あの人はクリミアにまいおりた天使だよ」
ナイチンゲールの働きで、亡くなる兵士の数は大きく減りました。
「わたしは地獄を見た。わたしは決してクリミアを忘れない」
病気を治すには治療と同じく予防が大切です。
イギリスに帰国すると、ビクトリア女王から、会いたいとの手紙がきました。
「チャンスだわ。衛生の大切さを伝えよう」
得意の算数を生かして、ひと目でわかりやすいグラフを作りました。
「なるほど。さっそくあなたを支援しましょう」
女王を味方につけたナイチンゲールは、ますます熱心に病院改革へ取り組みました。
しかし、がんばりすぎたのでしょう。
37歳のとき病に倒れ、その後の人生のほとんどをベッドの上で過ごすようになりました。
「それでも、まだやるべきことがある」
理想的な病院とは何かを考えました。
「ベッドとベッドの間は1.5メートル離して、ベッド一つに窓を一つ。真ん中には患者が本を読んだり、ご飯を食べたりできるテーブルを置く」
現代の病院に生かされるこのしくみは、すべてナイチンゲールがはじめたことです。
それから、人々へ看護をわかりやすく伝える『看護覚え書』を出版しました。
日本で看護師を目指す人は、今でも必ずこの本を学びます。
こうして40歳のとき、ナイチンゲール看護学校ができました。
「あなたがたは進歩し続けないかぎりは退歩していることになるのです。目的を高くかかげなさい」
90歳で亡くなるまで、多くの看護師を育て、世界中の人々を救いました。
「愛というのは、その人のあやまちや自分との意見の対立を許してあげられること」
あなたなら、どうしますか?